金子十郎家忠館
- 2015/03/27
- 09:10
金子十郎家忠館
所在地 : 埼玉県入間市木蓮寺874 (瑞泉院)
築城年 : 鎌倉時代初期
築城主 : 金子十郎家忠

入口には左側「全国かねこ姓発生地 関東武士 金子十郎家忠公之墓所」 右側「曹洞宗 武州金子郷 金龍山木連寺瑞泉禅院」と二つの石柱がある。
訪れた時間が日没間近だったので少し暗くて見辛いかも…

金子十郎家忠の墓と金子氏一族の宝篋印塔。
金子十郎家忠の墓
家忠は保元の乱(一一五六年)や源頼朝の挙兵(一一八〇年)などを中心に活躍した鎌倉初期の武将である。十九才で保元の乱に出陣して敵の大将鎮西八郎の部下で鬼神といはれた高間三郎、四郎を討ち、その名を天下にひびかせた。
治承四年(一一八〇年)の源頼朝の挙兵のときは畠山重忠とともに衣笠城を包囲して三浦大介義明を討破った。この戦で家忠は身体に二十一本の矢をうけたが、それにひるまず戦功を重ねた。また源義経に従って多くの戦巧をあげ、武蔵、伊豆、下総の地頭を歴任した。家忠が三十才になった仁安三年(一一六八年)に社殿を造営して武運長久を祈ったが、これが白髭神社の始めだといわれている。
保延四年(一一三八年)に生れ建保四年(一二一四年)二月十七日にこの世を去っている。
昭和四十三年三月
入間市教育委員会
木蓮寺長寿会

金子十郎家忠の墓と金子氏一族宝篋印塔の全体像。
かつてココに館があったのだろうか…

近くにあった土塁状地形。
違うか(汗)

金子十郎家忠館遠景。
館跡一角以外は地形も含めて墓地に改変されてしまっている。
立地的には背後に山を控えた典型的な居館として条件は満たしているが…

一部に往時の面影を残すにとどまっている…
金子氏は武蔵七党のの一つ村山党の一族の出である。
村山党は、武蔵押領使村岡忠頼の四代孫頼任が、武蔵の村山郷に移住し村山氏を名乗った事に始まる。
その孫家範が入間郡金子郷に居住し、金子六郎と称して金子氏の祖となった。
この館は、源平合戦で数々の軍功を挙げた頃に金子十郎家忠が居館していたと伝わり、麓の瑞泉院は金子十郎家忠の開基と言われる。
しかし、実際に現地を訪れてみて驚く。
かつてあったであろう谷地は面影もなく破壊され墓地となっていた。
かなりの想像力を働かせても、往時を偲ぶ事は難しい事が残念でならない。
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