奥沢城
- 2014/10/29
- 23:26
奥沢城
所在地 : 東京都世田谷区奥沢7-41 (浄真寺)
築城年 : 天文(1532~1555)~永禄(1558~1570)年間頃?
築城主 : 吉良頼康

現在、奥沢城址は浄真寺となっている。
開山は江戸初期の高僧「珂碩上人」で、延宝6年(1678)に四代将軍徳川家綱に奥沢城址の地を賜り創建されたという。

寛政5年(1793)に建立された仁王門。
別名「紫雲楼」とも呼ばれる。

仁王門の脇にひっそりと佇む奥沢城址碑。
キチンと城址碑を探す目的で行かないと殆どの人が気付かずに通り過ぎてしまう(汗)





立派な土塁が寺を囲んでいるが、立入が禁止されていてナカナカ近付けない。
土塁上も墓地になっていて雛壇のようになってしまっている(泣)
外から土塁を見ると、コンクリートの柵が邪魔して殆どわからない。

この土塁の前の道は、かつての堀跡と思われる。

この住宅地の奥が奥沢城址。
非常に微妙だが微高地に建てられている事がわかる。
奥沢城は16世紀初頭、世田谷城の支城として吉良頼康によって築城された。
城主は、吉良氏の家臣であった大平左馬(出羽守)であったとされている。(『江戸名所図会』)
奥沢城周辺は、湿地帯であったとされ吉良氏によって治水・開墾事業が行われた。
世田谷城周辺は吉良氏が治めていたが、吉良頼康は北条氏綱の娘を室に迎える事で事実上、後北条氏に従属する形となっていた。
天正18年(1590)、後北条氏が豊臣秀吉によって滅亡すると吉良氏は下総国へ、大平氏も等々力等に逃れ、そのまま奥沢城は廃城になったと考えられている。
奥沢城址の浄真寺は都内でも有数の名刹だろう。
紅葉の季節になったらまた訪れたいと思う程、周囲の庭は手入れがしてあった。
しかし、奥沢城に触れる案内等は殆どなく、残る土塁も墓地と化してしまっている事が残念ではあった。
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