河原ヶ谷城
- 2014/04/15
- 22:45
河原ヶ谷城
所在地 : 静岡県三島市茂川町
築城年 : 不明
築城主 : 不明
『増訂豆州志稿』(一八九五)によれば、「河原ヶ谷村の北に城山と呼ばれる所があり、本丸と二ノ丸の旧跡がある。伝えられるところによれば、延徳三年(一四九一)伊勢長氏が伊豆に攻め入った時、高橋権守兼遠という者がこれに拠っていたのを、葛山惟定よく城の案内を知り、山手から攻めてこれを抜いた」と記されている。
城域は願成寺境内を含む一帯を占めていたが、現在その遺構は、旧陸軍墓地付近にその痕跡をとどめるのみである。
堡跡は箱根西麓の丘陵地に位置し、眺望も良く、推定平安鎌倉古道(古代・中世の東海道)も通過するなど、往昔を偲ばせる風景となっている。
(現地説明文)
願成寺

源頼朝の宿願の宿舎として百日間この庵より三嶋大社に日詣し、のち宿願成就し、天主君山願成寺と号を賜ったという。
(現地説明文)
願成寺には、源頼朝の宿舎となった記述はあっても、河原ヶ谷城に関する記述は一切見られなかった。
土塁状地形

丘陵地先端に位置する願成寺墓地に土塁状の地形が確認出来る。
しかし「これは違うだろ」と言われると何の反論も出来ない(汗)
陸軍墓地


腰曲輪的な地形に見えなくもない。
“それなり”の雰囲気はあるが、遺構は残っていない。
城址遠景

手前には大場川が流れており、天然の水堀の役割を果たしていたと思われる。
河原ヶ谷城はや「河原ヶ谷堡」とも言われる。
説明文にもあったように交通の要衝でもあった鎌倉古道を監視する程度の機能を持った比較的小規模な砦だったと想像出来る。
願成寺を中心として雰囲気は残っているにも関わらず、遺構が全く見られないのが残念でならない。
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