大穴城
- 2014/03/12
- 17:23
大穴城
所在地 : 埼玉県坂戸市大字中小坂字大穴733
築城年 : 不明
築城主 : 不明
大穴の小高い丘の上に、陣屋があったと伝えられています。中世に築かれた城を、江戸時代に陣屋として利用したと考えられています。陣屋は城や居館、役所などとして使われた建物です。
現在は、当時の面影を残す土塁がわずかに残っているだけです。
江戸幕府によって江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』に「小字大穴に、古くからここに陣屋があったと伝えられ、周囲をめぐる土手が残っている」と記述されています。また、『三芳野村郷土史稿』にも「中小坂稲荷社の西方に城跡があり、大穴と言われる。誰の居城か分からないが、鎌倉街道に続くので、当時の陣屋跡だったかもしれない」とあります。
東坂戸団地の建設で、周辺の様子は大きく変わってしまいましたが、このあたりの雑木林が残る小高い丘の上には、土塁がわずかに残っています。中世にこの地を治めていた土豪についてはまったく記録が伝わっていません。大穴城跡より北方の、川越市下広谷にある大堀山館跡などと関連があると考えられます。
ここは五反山または、御殿山とも呼ばれ、一説には江戸時代初期の旗本本多九蔵秀玄が、天正十八年(一五九〇年)以降に陣屋をおいたと言われています。これが事実ならば、これまであった中世の館を改修して利用したのでしょう。
(現地説明文)

かつては空堀なども僅かながら見られたようだが、現在は公園としてキレイに整備されてしまって見る影もない…

地形に若干の高低差が見られる場所アリ。
郭跡とも考えられるが、これだけ整地された公園では素人が断定する事は不可能。

公園の外にある雑木林に土塁を発見。

土塁の裏側に回ると不法投棄のゴミの山(泣)
中央の白いブツは便器(爆)
奥は平坦な藪になっている。
藪の中を進んでみたが特に遺構らしきものは見られなかった。
団地の住民でさえ案内板がなかったら公園が城址だったと気付かないだろう。
自分らも大堀山館を訪問した際に、カーナビをスクロールさせていて

6~7年くらい前までは公園も鬱蒼とした雑木林があってもう少し雰囲気があった様だが、今ではその雰囲気さえ感じる事が出来ない位に整備されてしまっている。
僅かながら残っている土塁の方を整備すれば良いと思うが、地権の関係か?全く保存される様子がない。
このままでは、いずれ土塁も消えていく運命となりそうだ。
スポンサーサイト
- テーマ:城めぐり
- ジャンル:旅行
- カテゴリ:城・城址・館・陣屋
- CM:0
- TB:0